なんで量り売りのお店始めたの?

なんで量り売りのお店始めたの?

はじめまして。基喜(もっくん)と申します。

私の名前の漢字は「基」本、「喜」ぶと書きます。
昔から漠然と人の喜ぶことがしたいと思って生きてきました。

ITから山暮らしへ

しかし、世間に対してまっすぐに生きられない息苦しさがありました。
IT事業に従事しておりましたので自分に都合のいい見たいものだけを画面越しに見る日々。

世間という色眼鏡を通し、都合の良いものだけを見て、気に入らなければ使い捨て、情報を貪り、知識の洪水に飲まれてしまい、何がやりたいのか、何が幸せなのか、自分の立ち位置が見えなくなってしまいました。

一度ITと真逆の世界に踏み込んでみようと、インドでの瞑想修行、遊牧民との生活、そして岡山県の山の中にある自然食宿の先駆けである「百姓屋敷わら」の船越康弘氏の元に飛び込み丁稚奉公に勤めさせていただきました。

食養生、東洋医学、心理学、座禅、瞑想法をご指導いただく傍ら、
体を動かすことで自信を取り戻していく感覚がありました。

薪になる木を選び、倒し、干し、割り、火をおこし、自分で耕して作った御飯を炊く。

昔はこんな当たり前だった作業を、今はちょちょんと数本指を動かすだけで叶えることができます。

頭で考えて体で行動するのではなく、手を動かし行動した上で、頭で振り返ってみることで、自分の立ち位置が見えてくるようになりました。

「食べ物を変えると人生が変わる」

そう岡山の師、船越康弘氏に教えられました。

ジャンクフードから穀物菜食生活中心の日々に変化したことで、
深い睡眠を取れるようになり、15kg体重が減り、体力、体幹もつきました。

ただそれは食べ物を変えた結果、表面的な変化だけではなく
自分が今どの程度空腹状態にあるのか食欲を内側から俯瞰して感じ取れるようになった事で、おいしそうな写真に唆られて食べたり、流行りのダイエット方法に沿って食べるといったことがなくなりました。

体重が今後増えても、こうすればまた絞れるだろうなという
身体と向き合う姿勢を得ることができました。

なによりも3度3度のご飯にありがとうと気持ちを持って食べることで
不思議と生きることに自信がついてきました。

九州北部豪雨での被害。

研修生活も折り返し地点の最中、
実家の村が九州北部豪雨の被害に合いました。

実家の復旧作業が一段落したある日、
曾祖父さんの名義で、植林した杉の木が満期になったとの通知が届きました。

どーゆーこと????

60年前のオリンピック時代は、早く成長し材木として高値で売れる杉を大量に伐採し
市場で高値で売れる時代。

当時は今のIT長者のように、多くの製材所や山主が潤っていた時代だったそうです。
自分達が恩恵をうけたように、植林することが後世の孫達のためになると思ってひーじーちゃんが植えた木。

その植林した木たちが十分に育ったので
市場に出しましょうねという通知です。

単純に考えるとひと山儲けられると思いますが
どうやらそう簡単な話ではないのです。

現在日本の木材供給の70%以上が輸入木材に頼っている状況

つまり、じーちゃん達が植林した木材を市場に出すには10倍の費用がかかってきます。
手入れをしていくだけで多額の負担が持ち主にかかるので、放置されている状況。

密集して植えているので適度に間伐していかないと、
太陽の日が当たらず、根がしっかりと生えきらない状態になるのです。

そうすると最近の豪雨のような大量の水が一度に集中すると流木として流れて
被害が発生したことも被害の一要因という話を聞きました。

孫の事を思って植えた木が被害を起こすことなんて
曾祖父さんは想像していなかったと思います。

ただ、少なくとも孫の世代のために何かを残したいという気持ちが植林という行動に至ったのであれば、
世界中の情報が集まり、交流できる現代で急激に増えている台風や毎年どこかで起こすであろう災害に対して、今自分に出来る行動を起こさない理由はない
という覚悟が決まりました。

さぁ下界に降りて何しよう。

研修生活を卒業・下山し、スーパーに訪れると
効果効能を豊富に謳うパッケージや使い捨ての商品で溢れ、
中にはお買い得と称し「見切り商品」と書いたダンボールの中に入った
野菜を見るととても寂しい気持ちになりました。

また、それまでは買い物かごを持って畑で必要な人参を収穫し、
「ありがとう、ありがとう」とおもしろい挨拶をしていた生活から
一変して過度に包装された商品の数々。

もちろん消費者に安全に提供するために数え切れない人の汗があるのは当たり前だと思います。

畑から土付きの野菜をそのままスーパーに並べた、
売れなければゴミ処理場で焼却され本末転倒です。

ただみんながおいしいものを必要な分だけ買えば
そんな野菜でも買ってもらえるんじゃないか。

どんな食べ物でも「おいしくいただきます!」と食べる心を持った上で
僕がITから山暮らしと真逆の生活で少しだけ自分と向き合えたように、

・包装から無包装に
・使い捨てから使い切りに
・パック売りから量り売りに

そんな逆の買い物の場所が一つの形としてあったら
少なくとも自分は喜ぶし、自分が喜ぶ事で他人を喜ばすことができる。

必要な分だけ買うから、言い訳の対象がなくなり
すぐに痩せるかもしれません(笑)

またそんなお店のある地域文化が出来ることで
環境負担も減り、孫に自慢できるじーちゃんになれるんじゃないか。

プラスチックのない量り売りのお店が正解なの?

ど正直に便利さや効率化を求めて発展していった買い物の形は
変化して進化していった人間らしく、素晴らしい事だと思います。

ですので、諸手を挙げて江戸時代に戻ってすべて量り売りにしましょう!というのは
包装の便利さを一度体験すれば、それがいくら環境の事とはいえ
無理があり、めんどくさいなと感じます。

ヨーロッパではプラスチックを使わない/包装をしないお店というテーマに絞った小売店が広がっていますが
プラスチックは私達が便利、衛生を求めた結果莫大に普及したものであり、善悪で語るものではないと思う派です。

当たり前にスマホを持つような時代になったのに、
スマホは悪だ!黒電話に戻りましょうといっても戻れないし、酒は悪だと言われても、飲みたい気持ちと同じです。

解決手段が何かを我慢や禁欲の上に成り立つものではなく、別の視点から見てみて模索する。

酒も飲み方次第。
野菜も食べ方次第。
スマホも使い方次第。
プラスチックも使い方次第。

じゃぁどうやって行動に移す?

日本に古来からある1つのものに縛られ、他者を否定するのではなく、受け入れ、調和する多元文化。

江戸時代には究極のリサイクル法、排泄物を堆肥化することで増加する人口に比例して作物が増えていく
環が回っていたそうです。

今の時代に「お宅のうんこを分けてもらえませんか?」なんていうと笑いものになるでしょうが、そもそも食べ物が変わってしまったので、人糞は臭いがきつく肥料として使いにくいそうです。

同じように「マルサスの罠」に対し食物の生産効率を上げるよりも、蒸気機関車などを発明した事が産業革命であり、諸国において人口増加と富の成長の均衡がとれたといった話は有名です。

単にプラスチックを否定するのではなく、長く使ってもらえるやり方を考えてみる。
代替となる何かがないか調べる。昔のやり方もいい、最新のテクノロジーもいい。

現時点でこんな事ができるかわかりませんが、古い手法と新しい手法を組み合わせ
和魂洋才に試行錯誤しながら、今自分に出来る最適解を考えたお店作りをしていきます。

「はかる」という訓読みする漢字は41もあるそうです。
目に見える数値だけではなく、なにかしらの尺度を見つける。

多すぎず(mucho)少なすぎ(poco)ない自分にとってちょうどいい喜びの素が見つかる
そんな想いで、量り売り売り商店 ポコムーチョ(POCO MUCHO)を開店します。




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